Up 率土(そと)が濱つたひ』 作成: 2024-12-04
更新: 2024-12-04


      『菅江真澄集 第5』(秋田叢書刊行会, 1932), pp.245,246
    舊烏銕(もとうてつ)川をわたりて、上烏銕の浦といふやかたに巳のとき斗につく。
    此浦人はもと蝦夷の末ながら、ものいひ,さらに,ことうらにことならず。
    近き昔とやらんに鬚そり、頭そりて、女も文身あらて、そのけちめなし。
    うらのをさ四郎三郎といふかもとに宿かる。
    むかしは浦うらに蝦夷や多かりけん,にぎえそ (和人の生活に同化したアイヌ),あらえぞ (同化しなかったアイヌ) なともはらいへり。
    猶ありたりし袰月の弊岐利婆(ヘキリバ)か末の子を又右衛門といひ、 松か崎の加布多以武(カブタイン),その末を今は治郎兵衛といひ、 藤島の牟左訶以武(ムサカイン),いまその末は清八とひ、 宇氐通(ウテツ)の久麽他可以武(クマタカイン)か末なるは,此宿のあるしの四郎三郎なり
    此四人の保長(をとな)とて、濱名浦の七郎右衛門をいまもおやかたといひ,としのくれなとには刀万府(トマフ)てふ、海狗(とど)に(似)たくふ,うな(海)のけものを小島のあたりにとりて,その濱名のをとながもとに土毛にをくりたりしよし。