Up | 異界とは | 作成: 2025-01-12 更新: 2025-01-12 |
「やみくもに」とは,相手をわかろうする契機がそこには無いということである。 そしてその懼れが,忌み嫌うことに,そして排斥に転じる。 こうして,人と異形のものは互いに離れて棲むことになる。 そして異形のものが棲む処は,ひとにとって「異界」になる。 相手をわかろうとすることが無い排斥は,相手を不可思議な存在にすることだからである。 ひとは異界幻想を膨らませていく。 そして,そこには穢れ,妖魔,あるいは恐怖の神が棲むという幻想をつくる。 但しこれは,「異形を理由に排斥するなんてひどい・異形のものが可哀想」の話ではない。 人の棲むところは,異形のものが生きられないところである。 異形のものは,自ら,異界を形成してそこに棲むことになる。 「異形を理由に排斥するなんてひどい・異形のものが可哀想」を言う者たちは,自分たちが最高と思い上がっていることになる。 実際,彼らが異形のものへの憐憫として行うことは,「同化」である。 同化は異形のものを殺すことであるから,異形のものはこれから逃げることになる。 「平等」 「救済」は,独り善がりであり,イデオロギーである。 異形のものからすると,それは強権・圧政である。 そしてこの強権・圧政のフロントが,マスコミである。 異形のものは,この強権・圧政から自由になろうとすることにおいて「異形」なのである。 異形のものとは,<正しい形>の者たちから逃げねばならないもののことである。 ひとは,<正しい形>の側につきながら,自分では<正しい形>を不自由とする。 不自由は,身心を壊す。 そこで身心を この息抜きによって,<正しい形>を保つ。 ひとにあって異形のものは,自ずと<正しい形>と対することになる者である。 <正しい形>の強権・圧政から逃げることになる者である。 彼らは,<正しい形>の者たち──即ち一般人──から,隔たって生きる。 そして一般人は,彼らの棲むところを「異界」にして,その幻想を膨らませる。 |