Up | 「CO2 排出地球温暖化」の政治利用 : 要旨 | 作成: 2023-06-18 更新: 2023-06-18 |
そして人間の場合,この何かはことばにされる。 人間は,ことばで生きる物だからである 人のこの言語行為は,<迷信をつくる>になる。 こうして,人の<生きる>は,<迷信をつくりこれに依って生きる>である。 信じることにしたものが正しいかどうかは,関係ない。 ひとは,何かを信じることにしないと生きられないのである。 ひとはいま,「CO2 排出地球温暖化」の迷信に依って生きる者になっている。 このように生きると,自ら決めた。 一度決めると,これが正しいかどうかは関係ない。 そこで,「CO2 排出地球温暖化」の迷信は,「これを利用していこう」というものになる。 政治は「CO2 排出削減」を,国内に対しては経済効果に,国外に対しては中東諸国や中露との関係を改めることに,それぞれ利用することになる。 企業は,これをビジネスチャンスにしていくことになる。 学者は,これを業績づくりに利用することになる。 つぎは,政治が示す「CO2 排出削減」の絵図のうちの1つである: ひとはこの絵を見せられると,「CO2 排出削減」だと受け取る。 「褐炭を燃やすのは CO2 排出だろう」と思っても, 「CCS」のことばで,思考停止になってしまうのである。 「CCS」は,机上の論である。, 水素燃料の輸入によって「CO2 排出削減」を成すことは,水素燃料輸出国が褐炭 (化石燃料) を燃やして CO2 を排出することなのである。 「水素輸送 (液化水素船)」も,構想・研究の段階である。 LNG が<マイナス162度で液化,体積600分の1に>を輸送するのに対し,水素は<マイナス253度で液化,体積が 800分の1に>を輸送する。 安定した輸送・貯蔵・配給は,実現のハードルが──コストについては言わずとも,それ以前の技術段階で──そもそもひどく高いのである。 知るべし。 CO2 排出の削減をすることは,他のどこかで余計な CO2 排出が生じるということである。 例えば,製鉄業での「CO2 排出削減」。 これをやろうとすれば,コストがかかる。 コストとは何か? 他のどこかが CO2 の新たな排出を これが, 「CO2 排出削減」の実際である。 しかし「CO2 排出地球温暖化」の迷信を利用すると決めた者にとって,実際がどうかはどうでもよいことである。 ここであなたは,つぎのように思ったかも知れない。
再エネ施設・水素製造施設の構築と運用は,エネルギーを消費する。 そのエネルギーのもとを溯れば,CO2 を排出している工場・発電所に至る。 あなたは, 「その工場・発電所も水素燃料でやっていけばよい」と思うだろうか? 「そうなるために再エネの規模をどんどん拡大すればよい」と思うだろうか? 「水素燃料が循環するレベルにやがて到達する」と。 その考えは間違いである。 再エネは,自然破壊なのである。 ひとは,物事の表裏2面の1面しか見ない。 エコのつもりで,とんでもない自然破壊をやってしまう。 「CO2 排出地球温暖化」の迷信の利用は,時間との勝負である。 迷信は,そのうちバレる。 気候は変動する。 平均気温は変動する。 皆既日食を知らなけば,太陽が欠けるのを見て,この世が終わると思う。 平均気温の一時的上昇を見て「CO2 排出地球温暖化」と騒いでいるのは,これと同じである。 欠けた太陽は,待っていれば元に戻る。 平均気温の上昇は,つぎには下降に転じる。 しかも,「地球温暖化」だと騒いでいるその「平均気温の上昇」は,「日照量の増加」である。 日々の気温は,晴れか曇りかで,10度くらいはふつうに違ってくる。 「日照量の増加」を言い表すことばは,「雲ができにくい」であり,「乾燥化」である。 「地球温暖化」だと騒いでいるそれは,「温暖化」ではなく「乾燥化」なのである。 「2050年脱炭素社会実現に向け」をスローガンにして,2050年までをモラトリアム期間にしているが,その間に平均気温が顕著に下がってしまうおそれがある。 「CO2 排出地球温暖化」が嘘だとなったとき,「2050年脱炭素社会実現に向け」はどんなことになるのか? 「CO2 排出地球温暖化」を利用している者たちは,平均気温が下がっては困る者たちである。 彼らは,平均気温が下がっても「そんなはずがない」となりそうである。 データをいじり出さないまでも,いろいろ屁理屈をひねり出すことにはなりそうである。 |