Up | 「復古」幻想 | 作成: 2018-09-19 更新: 2018-09-19 |
そして,いまの世の中が宜しくないのは,民において<日本国の民の心>が失われている──古のものになっている──からだ,とする。 そこで,古のものになっている<日本国の民の心>を取り戻すことが,世直しの方法ということになる。 こうして,「復古」が出てくる。──世直しの方法は,「古のものになっている<日本国の民の心>を取り戻す」の意味の「復古」。 古学は,<日本国の民の心>を, 「自然」を「 またこの意味で,「大和魂」のことばを用いる。 古学はさらに,<日本国の民の心>は天皇を上に頂く民の心として実現されるものであるとする。 これを転じると,天皇を上に頂くことが<日本国の民の心>の実現だ,となる。 世直しは<日本国の民の心>を取り戻すことがこれの方法であったから,結局,天皇を上に頂くようにすることが世直しの方法になる。 ──翻って,いまの世の中が宜しくないのは天皇を上に頂いていないから。 こうして,幕末維新の平田門人は,勤王倒幕運動を世直しと見る者になる。 ──いまの世の中が宜しくないのは,徳川幕府が統治しているからである。天皇の統治になれば,世の中は宜しくなる。 『夜明け前』では,主人公は維新が成ることで,木曽の民の生活が宜しくなると思う。 ところが,木曽の森林が官有にされて,民はこれまでのような森林使用ができなくなる。 主人公は,これは事情がお上に知られていないからであり,訴えれば解決してくれると思う。 しかし,そうはならない。 主人公は,幕末維新の<破壊>を自分の都合のよいように見ていたわけである。 既得権の召し上げは,すべての者に及ばねばならない。。 時代は,自由主義経済の時代に入ったのである:
さて,「復古」を立てる者は,『夜明け前』の主人公の如くである。 彼らは,人の系 (生態系) に対する「 実際,「進化」がわかっていれば,「進化の不可逆性」がわかる。 「進化の不可逆性」がわかっていれば,「復古」は言い出されるものではない。 現前の生業の系を合理化するように醸成されるのが,共同体幻想である。 「復古」は,この共同体幻想に抗するイデオロギーになる。 ふつうは,共同体幻想の方がこれに抗するイデオロギーよりも強い。 実際,イデオロギーの方が強くなって共同体幻想を負かすことは,生業の系を破壊することであり,この結果は<死屍累累>である。 ──「國體思想」は,これであった。 |