「○○民族」は,虚妄である。
「民族」は,創作される。
「民族」は,
「昔々わが民族は,幸福であった」
「昔々わが民族は,まっとうであった」
のストーリーが創作されるときの「わが民族」である。
そしてこのストーリーの内容は:
「わが民族は,いま不幸・混乱の状態にある」
「あの悪者が,わが民族をこの状態にした」
例. つぎの二つは,「アイヌ民族」の創作:
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知里幸惠『アイヌ神謡集』「序」
その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう.
冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀ずる小鳥と共に歌い暮して蕗とり蓬摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とる篝も消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,円かな月に夢を結ぶ.嗚呼なんという楽しい生活でしょう.‥‥‥
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戸塚美波子「詩 血となみだの大地」
自然は
人間自らの手によって
破壊されてきた
われらアイヌ民族は
何によって破壊されたのだ
この広大なる北海道の大地に
君臨していたアイヌ
自由に生きていたアイヌ
魚を取り 熊 鹿を追い
山菜を採り
海辺に 川辺に
山に 彼らは生きていた
人と人とが 殺し合うこともなく
大自然に添って 自然のままに
生きていたアイヌ
この大地は まさしく
彼ら アイヌの物であった
侵略されるまでは───
ある日 突然
見知らぬ人間が
彼らの 目の前に現われた
人を疑わねアイヌは
彼ら和人を もてなし
道先案内人となった
しかし──
和人は 部落の若い女たちを
かたっばしから連れ去ったうえ
凌辱したのだ──
そして 男たちを
漁場へと連れて行き
休むひまなく
働かせた
若い女たちは
恋人とも 引さ離され
和人の子を身寵ると
腹を蹴られ流産させられた
そして 多くの女たちは
血にまみれて 息絶えた
男たちは
妻 子 恋人とも
速く離れ
重労働で疲れ果てた体を
病いに胃され
故郷に 送り返された
その道すがら
妻を 子を 恋人の名を
呼びつつ
死出の旅へと発った
‥‥‥
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例. つぎは,「大和民族」の創作:
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本居宣長『玉くしげ』
其時代には、臣下たちも下萬民も、一同に心直く正しかりしかば、皆天皇の御心を心として、たゞひたすらに朝廷を恐れつゝしみ、上の御掟のまゝに従ひ守りて、少しも面々のかしこだての料簡をば立ざりし故に、上と下とよく和合して、天下はめでたく治まりしなり、
然るに西戎の道をまじへ用ひらるゝ時代に至ては、おのづからその理窟だての風俗のうつりて、人々おのが私シのかしこだての料簡いでくるまゝに、下も上の御心を心とせぬやうになりて、萬ヅ事むつかしく、次第に治めにくゝなりて、後にはつひに、かの西戎の惡風俗にも、さのみかはらぬやうになれるなり、
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註: |
「悪者」はこの場合「西戎の道」に傾倒した者だが,ただし直接「悪者」にはならなくて,つぎのようになる:
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抑かやうに、西の方の外國より、さまざまの事さまざまの物の渡り入來て、それを取用ふるも、みな善惡の神の御はからひにて、これ又さやうになり來るべき道理のあることなり」(同上)
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引用文献
- 知里幸惠『アイヌ神謡集』
郷土研究社(炉辺叢書), 1923. (岩波文庫 1978)
- 戸塚美波子「詩 血となみだの大地」
旭川人権擁護委員連合会『コタンの痕跡』, 1971, pp.95-107.
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