Up | 「日本人」括りの虚妄 : 要旨 | 作成: 2018-10-08 更新: 2018-10-08 |
立国は,一つの民族が支配民族になることだからである。 はじまりは,<複数の文化の混淆>である。 ここに立国が起こると,立国に伴う利害関係の発生で,異なる文化の間で衝突が起こる。 各文化は,「民族」に己を表現する。 こうして,衝突は「民族紛争」を様相にする。 このように「民族」は幻想である。 翻って,この幻想を幻想と思わないのが,民族主義である。 日本は,一つ民族の国ではない。 一つの民族の国に見えるのは,大きな衝突のステージが既に終わっているからである。 一方,大きな衝突がもう無いことは,一様ということではない。 日本は,これまでもそしてこれからも,ずっと<複数の文化の混淆>である。 一般に,系は,<多様化かつ一様化>のダイナミクスを以て自己組織化する系である。 系の自己組織化は,系の進化である。 ここで「進化」は「不可逆的」を含意する。 日本は,このような系である。 「日本人」の意味は,「法制的に日本人」である。 しかし日本人でいると,「日本人」を「資質的に日本人」で想うようになる。 即ち,つぎのように想う:
この この民族主義が「エスノセントリズム」レベルに高まったのが,「国学」である。 逆に,現前の「日本人論」のいろいろは,これのスペクトラムで見ていけばよい。 「日本人」括りは,民族主義であり,虚妄である。 虚妄であることは,日本文化の内容を<複数の文化の混淆>として示すことがこれの直接証明になる。 そこで本章において,「複数の文化」の切り口を示すとする。 |