Up | 「進歩主義」 | 作成: 2018-10-14 更新: 2018-10-14 |
人の<生きる>は,<商品経済体制に生きる>である。 商品経済は,進歩主義のゲームである。 商品経済体制において,ひとは進歩主義をふるまうことを強いられる。 商品経済は,みなが「進歩」を見ているふりをすることで,成る。 「進歩」を見ているふりをすることが,商品経済に生きる者のマナーである。 「王様は裸だ!」を言ってはならない。 水を差すような物言いは,厳に慎まねばならない。 例えば,「医療の進歩」。 平均寿命100歳以上を実現する医療の進化を,「進歩」として讃えねばならない。 その内容が,痴呆性老人の増加,高額医療費の税金負担による国家財政難,等であることを,口に出してはならない。 例えば,「エネルギー革新」。 海底資源の開拓は,「進歩」として讃えねばならない。 「資源取り尽くしの果てに,残るは海底か!」のようなことは,言ってはならない。 しかし,商品経済の「進歩」は,螺旋上昇のバベルの塔である。 ひとは,いやでも破局 catastrophe を予感する。 人々は,「皆で言えば怖くない」 (「無礼講」) 場面の出現に向けて,待機している。 無礼講は,ひとときのものである。 原発に対し「廃物処理技術も無いのに運用している」をひとが言うのは,無礼講の場面である。 ひとは,「電力不足」を言われると,忽ち黙する。 自分も「廃物処理技術も無いのに運用している」のうちだからである。 ひとの歩みは,進化の歩みである。 進化は「進歩」ではない。 「進歩」と「進化」の違いは,前者が「幸福」の概念とつながっていることである。 「進歩」は,幸福を得ようとする歩みである。 「進化」は,「なるようになる」の歩みである。 商品経済の進歩主義は,「幸福」の定義である。 IT端末産業は,キラーコンテンツを探し求めてきた。 これは結局,グルメと音楽とゲームに収束した。 これは,「幸福」の定義である。 ──「幸福とは,おししいものを食べること,音楽を聴くこと,ゲームをすること」 自動運転を開発する自動車産業は,自動運転のキラーコンテンツを探す。 そのキラーコンテンツは,「幸福」の定義である。 「自動運転により,ひとは車の中で本を読めるようになる。」 ──「幸福とは,本を読むこと」 |