Up | 箱物の力学 | 作成: 2016-01-01 更新: 2016-01-01 |
その意図は,ことばに表現され,明確なものである。 一方,ことばは,概念である。 ことばに表現された学校教育施行の意図は,内容をもたない。 学校教育の施行は,一つの「箱物」の開始である。 ひとは,箱物を現したところで,出来上がったつもりになる。 ことばに騙されるわけである。 「内容は追々埋まっていく」を流儀にする。 "If we build it, they will come." というわけである。 箱物は,丸投げされる。 現場,そして後世代が,これを負う者になる。 後世代は,つぎの3つのことが重なって,箱物を自己流に意味づける者になる: この意味づけは,箱物を箱物でなくするものにはならない。 箱物の更新である。 箱物は,丸投げされる。 現場,そして後世代が,これを負う者になる。 学校教育は,国の施策になる「殖産興業」の要素として開始される。 「殖産興業」は,グローバリズムである。 学校教育は,いま,グローバリズムである。 学校教育は,ずっとグローバリズムである。 実際,強国と伍していこうとする国の構えは,グローバリズムである。 学校教育開始時の学校数学の意味づけは,「産業の基礎科学のさらに基礎学」である:
産業の基礎科学のさらに基礎学である数学を身につけねばならない」 箱物の内容は埋まらない。箱物の意図は,世代忘却される。当初の意図は,時代と少しずつ合わなくなる こうして,後世代は,箱物を自己流に意味づけることになる。 いまは,つぎのようになっている:
数学的リテラシーを身につけねばならない」 後世代は,学校数学の意味を,「数学を身につける」から「数学的○○を身につける」に変えてきた。 後世代は,学校数学をすべての生徒のためのものにするには,これを一般陶冶にしなければならないと思う。 これが,「数学的○○を身につける」となる。 しかし,「数学的○○を身につける」は,箱物の度合いを飛躍的に高める。 「数学的○○を身につける」を現場,そして後世代に丸投げする者は,「学校数学のリーダー」を生業にしている者たちである。 彼らは,自分も扱えない「数学的○○を身につける」を,現場,そして後世代に丸投げする者たちである。 なぜ自分のことは横に置いて,ひとに丸投げできるのか。 「学校数学のリーダー」の生業とは,そういうものだからである。 すべて,「生業」の彩(あや) である。 人の生態系 (物理系) の含蓄である。 |