Up | 要 旨 | 作成: 2013-07-24 更新: 2013-07-24 |
本論考は,表象主義を退ける立場に立つ。 実際のところ,論述は表象主義に拠らねばつくれない (ことばとはそういうものである)。 東洋哲学/思想の「無記」, Wittgenstein の「語り得ぬものについては,沈黙しなければならない」は,論述のこのディレンマに対する境地の表現である。 本論考は,これらのことを承知しつつ,表象主義を退けることを「カラダ」の論述の要諦としなければならない。 (2) 非科学 本論考が課題として立てる「形式」の論述は,反表象主義 (反合理主義) である。 そしてこれは,「非科学」をやるということである。 科学をやることは,表象主義をやることだからである。 数学教育学の中で「学校数学=形式陶冶」論を行おうとすることは,「学術」の中に「非科学」の場所を確保しようとすることである。 (3) 非実証 「形式」は,論述者が自身を内観・内省し,また自身の経験をいろいろ想起して,論述するところとなる。 特に,「形式」は,これの存在を実証するというふうにはならない。 「形式」は,短期間に生成されるものではなく,また長期にわたる追跡を考えても,そもそも「これがその形式の現在形」というふうに画定・特定できるものではないからである。 |