Up | はじめに | 作成: 2013-01-27 更新: 2013-09-25 |
全体論考は,「学校数学」の意味の論考である。 「学校数学」の意味の論考は,論考の趣意を外さないために,「学校数学は何のため?」の問いの答えづくりに代える。 ここで,「学校数学は何のため?」は,つぎがこれの言い換えになるものである:
「得」は,「誰にどんな得」で多様になる。 しかし根本は,「勉強する者すべてにどんな得がある」である。 翻って,「学校数学は何のため?」の立論は,「勉強する者すべてに得がある」の立論が根本である。 学校数学を「勉強する者すべてに得がある」ものとして立てようとするとき,その「得」は「数学の実用」とはできない。 「数学ではないもの」にしなければならない。 本論考は,この「数学ではないもの」は,「形式陶冶」の言い回しになるところの「形式」となるのみであるとする。 即ち,「学校数学は勉強する者すべてに得がある」の「得」は「形式」である,となる。 では,「形式」とは何か? 本論考は,「形式」という存在を当て込み,これを論考する。 |