Up | 要 旨 | 作成: 2012-11-25 更新: 2012-11-25 |
さらに問題を生むことになる。 救済されている教員の授業は,生徒に<わかる・できる>を与えられない授業である。 そこで,教員の救済は,さらに生徒の救済を含まねばならない。 このときの生徒の救済とは,生徒を「わからなくてよい・できなくてよい」にしてあげることである。 生徒を「わからなくてよい・できなくてよい」にしてやるものも,ことばである。 「問題解決」「リテラシー」「コミュニケーション」「思考力・判断力・表現力」「関心・意欲」「主体的」「活発」等々である。 このことばも,いろいろなところから出てくる。 学校教育行政は,このことばを発するところである。 指導格の教員も,このことばを発する。 こうして,生徒はつねに救済されている。 しかし,救済は,教員にとっては確かに救済であっても,生徒にとっては<見掛けの救済>である。 すなわち,生徒は,学校の中にとどまっている限り,救済されている。 生徒はやがてその学校から出て行かねばならない。 そしてそれは,「わからなくてよい・できなくてよい」が通用しなくなるときである。 |