Up | 「ジタバタ」は,自分がするもの | 作成: 2014-02-02 更新: 2014-02-02 |
「ジタバタを課す」は,「ひとりひとりに課す」である。 「ジタバタ」は自分がするものであり,ひとにしてもらうものではない。 「一斉授業」は,経済性を理由に,「個に対し授業する」を束ねたものである。 これが基本である。(例えば「互いに交流させる」が基本なのではない。) 「ジタバタを課す」は,「ひとりひとりに課す」である。 アタリマエのことだが,「ひとりひとりに課す」を強調しなければならない。 なぜなら,現前の算数の授業は,《できる子が活動,できない子はそれを見て学習》仕立ての授業の方が,むしろふつうだからである。(実際,「交流」が入ってきてからは,授業はすっかりこれになった。) そこで,つぎが授業の見方である:
授業者からちゃんとやらせてもらえているかどうか》 ちなみに,「生徒の興味・関心・意欲」のテーマは,「ジタバタ」との関係で立てるものである。 すなわち,それは,「ジタバタの実現」の要素/条件として出てくる。 そして,つぎの問題意識で見ていくわけである:
|