大学を出たくらいのひとは,小学算数に対し,つぎのような思いをもつ:
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教員は,算数を子どもに教える。
自分もむかしは算数を勉強し,そしてできるようになった。
いまは分数なんかがちょっとあぶないかも知れないが,いちおうわかっている。
分数も,改めて思い出せば,だいじょうぶだろう。
自分にも,子どもに教えることはできる。
実際,むかしは家庭教師をやったこともある。
というわけで,自分と教員の違いは,「自分は教えることを職業にしていないが,教員は教えることを職業にしている」ということだ。
「自分は教えられなくて,教員は教えられる」ということではない。
あとは,子どもの心理とか指導法とかの問題があって,その点で教員が自分より優位にあるということだ。
また,それが教員の専門性ということになる。
実際,算数は既にわかっているわけだから,教員養成の大学では子どもの心理や指導法が教えられるのだろう。
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教員養成の大学の学生も,こういう想いで入学してくる。
そして,この想いが壊される機会を持たなければ,この想いをもったまま教職に就く。
実際,現場の教員は,多くがこんな感じである。
こうして,小学算数は,生徒の親がモンスターになりやすい領域である。
実際,「自分がむかし教師から教えられた算数を,今度は自分が教師になって生徒に教える」の想いの教員は,生徒の親に対し「わたしのやっていることは,あなたにもできることですよ」と言っているのも同然である。
そこで生徒の親は,教員に対しては「先生,そうじゃないでしょう」になり,自分の子どもに対しては「あの先生,おかしいよ」になる。
そして,教員はこれにきちんと対抗できない。
きちんと対抗することを可能にするものは数学の学力だが,この力をつけてきていないからだ。
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