Up | 「自分は算数の内容を教えられる」の思い | 作成: 2014-01-20 更新: 2014-02-09 |
実際,算数の内容は,そのまま専門数学の「解析学」であり, 「代数学」であり,「幾何学」であり,等々である。 小学校教員がそのように思っていないとしたら,それは専門数学を知らないというだけのことである。 よって,自分の学生時代に数学がわからなかった者は,算数がわからない者である。 特に,算数を教えることができない者である。 自分は小学生のときテストでいつも100点をとっていたということは,自分は算数を教えられるということではない。 しかし,自分は教えられると思ってしまうのである。 実際,そう思ってしまうから,大学生の学習塾アルバイトは成立するのであり,小学校教員の算数授業は成立するのである。 どうしてこうなるのか? 《自分がむかし受けた算数の授業を,こんどは自分がやる》をそのまま「算数授業成立」にしているからである。 「算数授業」文化の継承である。 そして,《その「算数授業」は数学の授業ではない》が,この継承の要点 (問題点) になるのである。 《その「算数授業」は数学の授業ではない》は,「算数授業」文化継承社会に自閉していては,わからない。 そこで,大学の学校教員養成課程には,「専門性をつける」といって,専門数学の授業が設けられている。 しかし,この授業がまた,まったく機能していない。 なぜか? これもまた,一つの<「授業」文化継承の自閉社会>になっているからである。 即ち,「大学授業」文化の継承。 ( 『大学教員の授業力/指導力』 ) |