- 「離反遺伝子」論
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Dawkins (1989), p.291
‥‥ ウイルスは、私たちの体のような「遺伝子コロニー」から離脱した遺伝子なのかもしれない ‥‥
ウイルスは、純粋な DNA (あるいはこれに類似の別の自己複製分子──RNA) でできており、周囲にタンパク質の衣をまとっている。
彼らは例外なく寄生性の存在である。
上記の見解によれば、このようなウイルスは、逃亡した「反逆」遺伝子から進化したもので、今や、精子や卵子といった通常の担体 vihicle に媒介されることなく、生物の体から体へと直接空中を旅する身の上になってしまったというわけである。
この見解が正しいなら、私たちは、われわれ自身をウイルスのコロニーと見なしてもよいのかもしれない。
このウイルスたちの一部は互いに相利共生的協力関係を結び、精子や卵子に乗って体から体へと移動する。
彼らが通常の「遺伝子」なのだというわけである。
その他のものは寄生的な生活を送り、可能な各種の方法で体から体へと移動する。
この寄生的なDNAがもしも精子や卵子に乗って移動するなら、たぶんそれらが第三章で紹介した「パラドックス的な」余分のDNAになるのであろう。
もしそれが、空中経由あるいはその他の直接的手段で移動するなら、通常の意味の「ウイルス」と呼ばれることになるのである。
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- 「生物か?物か?」論
- ウィルスは,物
「新陳代謝」を「生物」の要件と定めるとき,ウィルスは生物ではない。
──ウィルスは, 「新陳代謝」が無い:
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ウィルスは,核を形成する繊維状の DNA あるいは RNA からなる複雑な分子システムである。
核のまわりには繊維状の尾や頭部構造,その他の特徴を形成するためにさまざまなタンパク質が集まっている。
水に富んだ適当な環境下では,DNA や RNA の分子と構成要素のタンパク質が,ちょうど鉢の中のボールのように最もエネルギーの低い状態を探し,自発的に集合することによってウィルス粒子が作られる。
一度ウィルス粒子が形成されると,維持するのにそれ以上のエネルギーは必要としない。
(カウフマン『自己組織化と進化の論理』, p.45.)
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- ウィルスは,生物の進化形
<生きる>は,<外界利用>である。
この<外界利用>のうちに,<他者利用>──即ち<寄生>──がある。
<生きる>は,<生きる>の効率化を含む。
<生きる>の効率化は,<外界利用>の向上である。
この<外界利用>の向上のうちに,<寄生>の向上がある。
<寄生>の極みは,《自分の増殖を他の者にやらせる》である。
なぜ「極み」かというと,「生物」の意味は「自己増殖 (生殖)」が根源になるからである。
《自分の増殖を他の者にやらせる》を果たしているのが,ウィルスである。
《自分の増殖を他の者にやらせる》は,《自己増殖器官のリボソームを捨て,身軽になる》であり,<生きる>の効率化である。
かくして,ウィルスは生物の進化形である。
リボソームを持たないことを以てウィルスを「非生物」と謂うのなら,ウィルスは<生きる>の効率化のために「生物」であることまでも捨てた存在ということになる。
ウィルスの「非生物」の意味は,「最終生物」である。
要点 : 生物に対するウィルスの位置は, 「始源的」ではなく「派生的」。
- 引用文献
- Dawkins, Richard (1989) : The Selfish Gene (New Edition)
- Oxford University Press, 1989
- 日高敏隆・他[訳]『利己的な遺伝子』, 紀伊國屋書店, 1991.
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