Up | <生物>の条件 : 要旨 | 作成: 2017-10-29 更新: 2018-07-18 |
生命的なものに,惹かれる。 それは,自分自身が生命だからである。 ひとは,音楽に惹かれる。 それは,音楽が生命的だからである。 音楽が生命的なのは,生命的につくられているからである。 どのように? 新しい波が既存の波の群れの中に逐次出現し成長する。 この一方で,既存の波が逐次消えていく。 これが繰り返される。 即ち,つぎのことが成り立つ:
<無常>は,新しい格差の出現と既存の格差の消沈が絶えず繰り返されている様である。 ちなみに「平等──格差否定──共産 ("共同参画")」のイデオロギーがなぜ現実によって否定されるかというと,これが<無常の定常>という自然の理に反するものだからである。 なぜ商品経済という無意味・無目的なものに支配されるかというと,これが<無常の定常>の理に合うものだからである。 自然現象は,ひとが生命を感じるところとなる。 自然は,無常が定常を成している 例えば,ひとは太陽に生命を感じる。 太陽からの光・熱に,<燃え続けている>という無常の定常を感じるからである。 ある渦が,方々を彷徨しつつずっと続いていたら,ひとはそれに生命を感じるだろう。 実際,自然科学をもつ以前の人は,自然の個々の現象を生命とした。 アニミズムである。 アニミズムは,科学の時代にも形を変えて現れる。 例えば,地球を生命体に見なす「ガイア」説は,アニミズムである。 そこで,生命的なものと生命そのものはどう区別されるかが,問題になる。 即ち,「<生物>の条件」。 生命的なもの (「無常の定常」) は,「自己組織化」の現象である。 生命的なものは,「自己組織化する系」である。 「自己組織化」の内容は,「化学的・物理的反応」である。 自然の中の存在は,みな化学的・物理的反応する存在であるから,大なり小なり自己組織化する系である。 「生命的」は,程度問題に過ぎない。 生物を特別な「自己組織化する系」にするものは,自己増殖 (<自分の複製をつくる>) である。 太陽や地球は自己組織化するが,自己増殖はしない。 翻って,自己増殖する系は,「生物」と呼べることになる。 ただし「生物」は自然の生物を指すので,ここは「生命体」のことばを用いる。 この意味で,「人工生命体」はあり得る。
人工生命を生命体から排除するために,「有機物で成る」を条件に加えるというのはどうか? しかしこのときは,「カラダのどこからどこまでが生命体か?」の問題を抱えることになる。 ──カラダは人工改造ができるからである。 そしてそもそも,「素材」が条件になることは不本意である。 なぜなら,「生命体」は,機能の問題として考えたい──このときは,素材フリーで考えることになる──からである。 「自己増殖」は,「自己保存」を含意する。 実際,自己保存できない存在は,増殖する存在にはなれない。 そこで,自己増殖する系は,適応系である。 人は,自分に向かって岩が飛んできたら,回避行動をとる。 一方,地球は,自分に向かって飛んでくる大隕石に対し回避行動はとらない。 人は適応行動をとり,地球は適応行動をとらない。 ただし地球のこの様は,地に根を張って動けない木も同じである。 木の適応行動は,「自分に向かって飛んでくる岩への対抗」の類とは違う位相で考えるものになる。 例えば,「太陽光があたる方向に葉の面を向ける」。 「太陽光があたる方向に葉の面を向ける」は,「自分に向かって飛んでくる岩を回避する」とは何が違うか。 後者が中枢 (脳) の命令による行動であるのに対し,前者はそうではない。 端末組織の自動反応としてこうなるのである。 趣として,化学反応である。 |