|
Dawkins (1989), pp.414,415
一頭のゾウの体にどれだけ多くの細胞があるかにかかわりなく、ゾウはその生涯を単一の細胞、受精卵から始める。
この受精卵が狭いボトルネック (瓶の首) であり、これが胚発生の過程を通じて、一頭の大人のゾウの何兆、何京ともいう細胞に増えていくのである。
そして、どれだけ多くの細胞が、どれだけ多くの特殊化した細胞が、強力して、大人のゾウを走らせるという、想像もつかないほどこみいった仕事をおこなおうとも、これらすべての細胞の努力は、たった一種の単一細胞 (精子または卵) の生産という最終目標に収斂する。
ゾウはそのはじまりにおいて単一細胞、すなわち受精卵であるだけではない。
その目標あるいは最終産物を意味するその目的も、次の世代の受精卵という単一細胞の生産にある。
ゾウの幅広く巨大な生活環は、はじまりにもおわりにも狭いボトルネックがあるのだ。
このボトルネックはすべての多細胞動物とほとんどの植物の生活環の特徴である。
|
|
|
同上, pp.415,416
ボトルラックとスプラージュウィードと呼ばれる二種の仮想的な海草を想像していただくと分かりやすいだろう。
スプラージュウィードは海中に不定形の枝をもじゃもじゃと伸ばすことによって成長する。
ときどき、枝はちぎれて漂流する。
こういった離切は植物体のどんな場所でもおこりうるし、断片は大きいことも小さいこともありうる。
庭の挿し木と同じように、これらの断片はもとの植物とそっくり同じように成長することができる。
このような体の一部の離切がこの植物の繁殖法なのである。
お気づきのように、これは成長と現実にはなんら異なるところがなく、ただ、成長部がおたがいに物理的に離れているというちがいがあるにすぎない。
ボトルラックも外見はよく似ていて、同じくもじゃもじゃと成長する。
しかしながら一つだけ決定的なちがいがある。
これは単細胞の繁殖子を放出することによって繁殖するのだ。
繁殖子は海のなかを漂い、成長して新しい植物体となる。
これらの繁殖子は、この植物体のほかの細胞と同じ細胞にすぎない。
スプラージュウィードの場合と同じように、性は介在しない。
娘植物体は、親植物の細胞とクローン仲間の細胞からなっている。
この二種の唯一のちがいは、スプラージュウィードは不特定多数の細胞からなる自らのかけらを分離独立させることによって繁殖するのにたいして、ボトルラックはつねに一個の細胞からなるみずからのかけらを分離独立させることによって繁殖するということである。
この二種類の植物を想像することによって、ボトルネックをもつ生活環とボトルネックをもたない生活環のあいだの決定的な差に照準を合わせることができた。
ボトルラックは単一の細胞というボトルネックを、世代ごとにくぐりぬける。
スプラージュウィードはただ成長して二つに割れるだけである。
離散的な「世代」をもっているとか、あるいは離散的な「生物体」をなしているということはほとんどできない。
ボトルラックについてはどうだろうか? ‥‥‥
ボトルラックはより離散的な「個体らしさ」の感触をもっているようには思えないだろうか?
|
|
|
同上, pp.422,423
要約すれば、ボトルネック型の生活史がなぜ、はっきり区別された単一のヴィークルとしての生物個体の進化を促進するかという三つの理由を見てきたことになる。
この三つはそれぞれ、「製図板に戻る」、「秩序正しく時間の決まった周期」、「細胞の均一性」というラベルをはることができよう。
ボトルネックのある生活環と、はっきり区別される生物個体は、どちらが先にやってきたのだろうか?
私としては、両者はいっしょに進化したものと考えたい。
実のところ私は、生物個体を本質的に定義する特徴は、はじめとおわりに単細胞のボトルネックをもっ単位ということにあると思っている。
もし生活環がボトルネックのある型になれば、生命物質は、はっきりと区別された単一の生物個体に閉じこめられるようになる運命にあると思われる。
そして生命物質がはっきり区別される生存機械にますます閉じこめられれば閉じこめられるほど、その生存機械の細胞たちは、彼らと共 通の遺伝子をボトルネックをくぐりぬけて次の世代に運ぶように運命づけられた特別な部類の細胞のためにますます大きな努力を傾注するようになる。
ボトルネックをもっ生活環とはっきり区別される生物個体という二つの現象は、手に手を取って進んできたのだ。
一方が進化すると、それが他方をさらに強化するのだ。
両者は、ちょうど進行中の恋愛の過程における男と女の螺旋的に昂まっていく感情のように、相互に高めあっているのだ。
|
|
- 引用文献
- Dawkins, Richard (1989) : The Selfish Gene (New Edition)
- Oxford University Press, 1989
- 日高敏隆・他[訳]『利己的な遺伝子』, 紀伊國屋書店, 1991.
|