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『美唄市史』,1970. p.565-
明治24年7月5日,北海道炭砿鉄道の岩見沢一歌志内間開通と同時に設置され,鉄道の固有化によって国鉄に移管された。
最初の駅は現在の地点から約250mほど光珠内寄りにあり,現在の管野コンクリート工業前の小路 (銀河
通りから1 本南側道路) が駅前通りであった。
そして,そのころの駅周辺は一面のすすき野原と湿地帯で,道路も狭く,駅前にはまんじゅう屋が1軒あったといわれる。(管野忠右衛門談)
この駅は,明治35年ころ現在の場所に移転した。
大正3年11月,美唄鉄道線の開通により11年には,美唄鉄道と国鉄で美唄駅の共同使用が開始され,さらに昭和にはいると,南美唄線の開通(昭和6年)により美唄駅はますます交通の中心的な地位を占めるようになった。
そして,炭鉱の発展とともに乗降客が増加し,さらに取扱貨物も激増したため,昭和11年3月,駅舎施設の大幅な改築を行なった。
戦後,圏内エネルギー源として石炭産業が重要視されるにしたがい,産炭地美唄の人口が増加し,さらに送炭量の増加に伴い美唄駅の客貨の取扱量も増加の一途をたどり,市制施行とともに駅舎の装いも新たにし,その後も改築を重ねて現在にいたっている。
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