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篠田 (2021), p.52.
ヨーロッパでは,耕地拡大による食料増産と人口増加が並行してすすんでいったが,19世紀,耕地拡大は限界に達していた.
そのため,ヨーロッパ諸国は,外の世界に耕地を求めるしかなかった.
ヨーロッパ自体,ローマ帝国の植民地であったように,今度は,ヨーロッパが世界を植民地にしていった.
彼らは,そこで大規模なプランテーションを行い,商品作物のモノカルチャーによる土壌侵食を引き起こした.
この農法では,単一作物を一斉に収穫するため,収穫後の農地では土壌があらわになる.
降水強度が小さいヨーロッパの平坦地で発達した農法を,強雨がある(たとえば,湿潤熱帯における)傾斜地に適用したことが問題であった.
土壌侵食は20世紀に世界の大部分で進行し,とくに,熱帯アジア,オーストラリア,アフリカ,アメリカ大陸などの開拓地で随所にみられた.
こうした植民地化の流れは,アメリカ東部・南部地域でも例外ではなかった.
これ以前のアメリカでは,先住民が古代ヨーロッパのように,長期休閑(焼畑)農業を行い,土壌侵食は局所的であったが,初期の入植者による集約的農法が東部の土壌劣化と水食を加速した.
一方,南部では,イギリス向けの商品作物であったタバコのプランテーションは,ヨーロッパで行われていた深耕,輪作,(家畜不足により)きゅう肥の施肥を行わなかったため,土壌の肥沃度を低下させ,(ヨーロッパでは発生しないような)夏の強雨によりガリー侵食をひき起こした.
農民はこうして劣化した土地を放棄し,新しく安い肥沃な土地を西(内陸)に求めたため,土壌劣化地域は拡大した.
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- 引用文献
- 篠田雅人 (2021) :「人類と砂漠化」, 沙漠研究 31-2, 2021. pp.45-61.
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