Up 自分の鏡像を自分と認める 作成: 2024-12-23
更新: 2024-12-23


    動物の知能を観るとして,鏡を用いるものがある。
    本サイトも,これのうちである。
    しかしその観察は,つぎのような言い回しに回収されるようなものなのか?
      「鏡に映る自分の像を自分と認めるので,賢い」
      「鏡に映る自分の像を自分と認めないので,賢くない」

    そもそも,「鏡に映る自分の像を自分と認める/認めない」とは,どういう行動に示されるのか?
    ボソ♂は,鏡をまったく相手にしない。
    ボソ♀は,鏡をしっかり相手にする。

    この差は何か?
    能力の差とすることはできない。
    性格の違いとするのみである。


    ボソ♂が鏡をまったく相手にしないのは,水に映る自分の像をまったく相手にしないのと同じ,と判じられる。
    ボソ♂は,水に映る自分の像とかから,「自分が映っている」の概念を形成している。
    よって,鏡をすぐにアタリマエのものとし,以降まったく相手にしない。

    水に映る自分の像とかから「自分が映っている」の概念を形成していることは,ボソ♀も同様のはずである。
    ボソ♀は,「鏡に映る自分の像を自分と認める」のである。


    では,ボソ♀の行動は何なのか?
    これは,対象をわかろうとする行動ということになる。
    ボソ♀が♂と違うのは,不思議に執着する性分である。

    これは人も同じである。
    鏡に対する行動に,つぎの2タイプがある:
    1. 鏡の前で顔の手入れをする
    2. 鏡が不思議で,前後に移動したり,突っついたり,持ち上げたりする
    このとき,「鏡に映る自分の像を自分と認める」のように見えるのは,前者である。
    後者は,「鏡に映る自分の像を自分と認めない」のように見える。


    鏡,そしてこれに映る自分は,ボソ♀にとって永遠の不思議である。
    実際,これを理解・説明することは,人間にも難しい。
    人間だったら,不思議に執着するのは「科学者」である。

    というわけで,つぎのようにも思えてくる:
      ボソ♀は,性向が「科学者」
      一方♂は,「生活者」


    東洋はそうでもないが,西洋は人間神一神教の文化のせいで,人間を特別な存在にしてきた。
    特に,「意識をもつのは人間だけで,動物は本能で生きている」のような生き物観をつくってきた。
    しかし,人間は他の動物と比べて特段違うというものではない。
    即ち,特段に違う存在と定める理由が無い。

    自他意識は,動物が生きるうえで不可欠のものである。
    鏡を前から横から後ろからと仔細に観察できた動物は,そこに他の者を見出すことができないので,自分の鏡像を自分だと認めることになる。
    ボソ♂♀の行動はこのことを示すのである。