困ったことに,デマゴギーはつねに成功を見る。
ひとは,プロパガンダの内容の真偽を確かめようとは,しないからである。
そこで,デマゴギーを用いる者は,ますます図に乗ってデマゴギーを用いるようになる。
さらに困ったことに,このデマゴギーにいちばん引っかかるのが,実はアイヌ学者である。
一般者はもともと「アイヌ」に無関心な者であるから,デマゴギー・プロパガンダは彼らのもとには届かない。
これをキャッチするのは,アイヌ学者である。
そして,他愛なくひっかかってしまう。
どうしてこうなるかというと,ひとは,ロジックよりも,「正義」を採るのである。
デマゴギーは,義憤に訴える物語である。
ひとは,正義の味方でいたいから,義憤を表明する。
以下,デマゴギーの例を挙げる。
ひとは,これらの論述を真に受ける。
疑うということはなく,これを消化することを自分の課題にする。
疑わないのは,知識がないからである。
ひとは,自分の知らないことを言われると,真に受ける。
これは,ひとの習性である。
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戸塚美波子 (1971)
‥‥‥
人と人とが 殺し合うこともなく
大自然に添って 自然のままに
生きていたアイヌ
この大地は まさしく
彼ら アイヌの物であった
侵略されるまでは───
ある日 突然
見知らぬ人間が
彼らの 目の前に現われた
人を疑わねアイヌは
彼ら和人を もてなし
道先案内人となった
しかし──
和人は 部落の若い女たちを
かたっばしから連れ去ったうえ
凌辱したのだ──
そして 男たちを
漁場へと連れて行き
休むひまなく
働かせた
若い女たちは
恋人とも 引さ離され
和人の子を身寵ると
腹を蹴られ流産させられた
そして 多くの女たちは
血にまみれて 息絶えた
男たちは
妻 子 恋人とも
速く離れ
重労働で疲れ果てた体を
病いに胃され
故郷に 送り返された
その道すがら
妻を 子を 恋人の名を
呼びつつ
死出の旅へと発った
‥‥‥
真っ赤な
どろりとした血
かって 侵略されるまで
いや この大地が
アイヌの天地で あったとき
けっして流れたことのなかった
その血は
それ以後 絶えまなく
地中へと 吸い取られていった
‥‥‥
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(1)「人と人とが 殺し合うこともなく」
アイヌは,互いに争い血を流すということを,もちろんやっている。
(2)「陵辱,腹を蹴って流産させる」
統治は,法治である。
残酷行為がまかり通ったら統治は成り立たない。
(3)「男たちは,重労働で疲れ果て,死出の旅へと発った」
運上屋がタコ部屋だったら,運上屋は成り立たない。
運上屋の仕事は一律・単純労働ではないので,強制労働のような手法は立たないのである。
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貝沢正 (1972)
北海道の長い歴史のなかで、大自然との闘いを闘い抜いて生き続けてきたアイヌ。
北海道の大地を守り続けてきたのはアイヌだった。
もっとも無智蒙昧で非文明的な民族に支配されて三百年。
アイヌの悲劇はこのことによって起こされた。
アイヌの持っていたすべてのものは収奪され、アイヌは抹殺されてしまった
エカシ達が文字を知り、文明に近づこうとして学校を作ったが、この学校の教育はアイヌに卑屈感を植えつけ、日本人化を押しつけ、無知と貧困の賂印を押し、最底辺に追い込んでしまった。
世界の植民地支配の歴史をあまり知らないが、原住民族に対して日本の支配者のとった支配は、おそらく世界植民史上類例のない悪虐非道ではなかったかと思う。
アイヌは『旧土人保護法』という悪法の隠にかくされて、すべてのものを収奪されてしまったのだ。日本史も北海道史も支配者の都合で作られた歴史だ。
アイヌの内面から見た正しい歴史の探究こそ望ましい。
敗戦後の教育を受けた若い人々の声が出てきた。
"正しいアイヌの歴史を" と。またこのこととあい呼応して、アイヌ民族の生活文化を保護、保存するための資料館を建てたい、と。
(中略)
アイヌの血がアイヌを呼び起こしたのだ。
アイヌの歴史を書き改める基盤ができた。
資料館を足場として、若いアイヌが闘いの方向を見極め、これからの正しい生きかたの指標としていくことを期待したい。
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北海道新聞社会部 (1991), pp.142,143
89年11月17日夜、東京・霞が関。
道ウタリ協会が首都で初めて企画した「新法を考える集い」が開かれていた。‥‥‥
野村義一理事長が参加者の質問に答える。
「新法ができると、どんな変化があるのですか」
「たとえば、フィンランドのサーミのように、アイヌ語のニュースがテレビやラジオで流れる。それを奇異に感じない社会になるということです。
学問の分野でも、現在は研究するのがシャモ、されるのがアイヌ、われわれは材料です。
将来はアイヌの研究者が自分の民族の研究をする」。
理事長はここまで一気に話した。
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野村義一 (1992)
19世紀の後半に、「北海道開拓」と呼ばれる大規模開発事業により、アイヌ民族は、一方的に土地を奪われ、強制的に日本国民とされました。日本政府とロシア政府の国境画定により、私たちの伝統的な領土は分割され、多くの同胞が強制移住を経験しました。
また、日本政府は当初から強力な同化政策を押しつけてきました。こうした同化政策によって、アイヌ民族は、アイヌ語の使用を禁止され、伝統文化を否定され、経済生活を破壊されて、抑圧と収奪の対象となり、また、深刻な差別を経験してきました。川で魚を捕れば「密漁」とされ、山で木を切れば「盗伐」とされるなどして、私たちは先祖伝来の土地で民族として伝統的な生活を続けていくことができなくなったのです。
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(4)「アイヌの土地を奪った」
アイヌにとって土地は,<誰のものでもない>というものである。
北海道がアイヌの土地であったことはない。
ここに,明治新体制になって土地所有制度が入ってくる。
土地はどこも<誰かのもの>になり,アイヌは狩猟採集の生活を立てられなくなる。
アイヌに土地の配給がされるが,それが生活手段になるわけもなく,和人にもちかけられて売ってしまう。
雇われ仕事をしていた運上屋も,廃止されてもう無い。
こうして,アイヌは路頭に迷う体に一旦なる。
さて,この政策において政府は,邪悪な者であったか。
列強の外圧の中で,北海道を<誰のものでもない>土地にしておくという政策はあり得たか。
松前藩のアイヌ統治法のように,アイヌをそのままにしておくという政策はあり得たか。
ひとは,これを考えない。
(5)「アイヌ語の使用を禁止」
これは,虚言である。
そもそも,アイヌ語は無くなるしかないものであった。
なぜか。
アイヌ語は,近代化された社会の中では使えない言語だからである。
考えてもみよ。
小中学校の教科書や新聞の記事をアイヌ語にできるか?
できない。
語彙が無いのである。
日本語は,先進文化に遅れないように進化を続けてきた。
漢語を取り入れ,カナ,ひらがなをつくった。
文明開化では,日本語に対応する語がない西欧のことばに出遭う。これをせっせと日本語にした。
言語は先進文化に遅れないように進化し続けなければ,使えなくなるのである。
アイヌ語は,<狩猟採集生活に足る言語>から先に進まなかった言語である。
よって,和人と交わることで生業を立てることになったアイヌは,進んで日本語を使う者になるわけである。
アイヌ語を奪った者などいない。
アイヌ語を使わなくなった者がいるばかりである。
(6)「同化を強制」
同化は,強制で成るものではない。
同化は,生活基盤を壊された者がこれに自ずと向かう,というものである。
学校は,来るように仕向けなくともアイヌの方から来ることになる。
勉強しないとこれからは生活できないと思うからである。
政治が義務教育仕立てにするのは,落伍者をつくらないことを考えるからである。
政治は,アイヌが自活できると見れば,アイヌに対して何もしない。
自活できないと見るから,アイヌ施策を打つのである。
ちなみに "アイヌ" が「強制」のことばを好んで使うのは,アイヌがその時々の政権にとってつねに大きな存在だった──時には対抗勢力として立ちはだかっていた──と思いたいためである。
"アイヌ" を論考するときは,この心情を思い遣ることが肝要である。
(7)「アイヌの血がアイヌを呼び起こした」
「アイヌの血」については,これのナンセンスであることを既に述べた。
「アイヌの血」
引用文献
- 戸塚美波子 (1971) :「詩 血となみだの大地」
旭川人権擁護委員連合会『コタンの痕跡──アイヌ人権史の一断面』, 1971, pp.95-107.
- 貝沢正 (1972) : 「アイヌ文化資料館」開館挨拶 (『近代民衆の記録』5、月報)
所収 : 新谷行『増補 アイヌ民族抵抗史』, 三一書房, 1977, pp..275,276.
- 北海道新聞社会部 (1991) : 北海道新聞社会部編『銀のしずく──アイヌ民族はいま』, 1991.
- 野村義一 (1992) : 1992年12月10日国連総会「世界の先住民の国際年」記念演説
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