(1) 住居
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最上徳内 (1791), p.66
生涯住居を定めず数十里の海浜に住居す
其宅と言(う)は 仮廬にて 漁猟の沢山なる所あれば又移りて仮廬を作り住居するなり、
生涯皆かくの如し、
是耕作の業を知らず 只漁猟多きが故なり。
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(2) 舟
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高倉新一郎 (1974 ), pp.129,130
アイヌはまたよく水路を利用した。
船としては木を割って作った丸木船とそれに側板をつけて大きくした縄綴じ船があった‥‥。
前者は主として川や湖沼で、後者は海で使われた。
船を動かすには櫂および竿を使った。
アイヌの櫂は松前で軍櫂と呼ばれたオール式のもので、まん中にあけられた穴を船縁につけた臍にはめ、船内の座板に腰をかけ、アバライタをふんまえて両手に櫂を持ち、後へ向けてこいだ。
舵をとるのには船尾で櫓をあやつった。
縄綴じ船には、このほか扇帆といって棒にキナムシロを横に、両辺を結びつけ、一方を固定し、一方の棒をもって加減しながら操る帆を用いることがあった。
錨は叉木に石の重りをつけたものであった。
上陸すると船を岸の上に押し上げ、これを伏せて屋根にしてその下で休んだり、櫂を結んで円錐形を作り、その上にキナムシロを巻き、天井から綱を下げ、その先に鉤木をつけ鍋をかけ、下に火を燃して野宿した。
越年などする時は、縄綴じ船の縄を切って船材として積んでおき、必要な時に組み立てて使った。
物を運ぶ時、もしくは急流をさかのぼる時は岸から船に綱をつけて引いたこともあった。
その時一人が棒で舵をとるため、船の舳先に凹みをつけたものもあった。
‥‥
縄綴じ船は綴じ合わせに苔を詰めていたが、よく水が入るので、一人がアカクミで船の中のアカを絶えず汲みとりながら走った。
船路が近い所は船をかついで陸を越したが、また木皮船を急造して使った。
木皮船はえぞまつ・きわだ [キハダ] などの木々の樹皮を丸剥ぎにし、その両端を折りたたんで内部と縁とを木枝で補強したものである。
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知里真志保 (1949), pp.79,80.
アイヌ固有の舟といたしましては丸木舟であります。
これにわき板のついたのがモチプとか、イタオマチプとかいうもので、そのわき板のない、いわゆる「たななし小舟」に当るものがチプで、これが近代におけるアイヌ生活における最も普通の舟であったようであります。
この他にヤッチプといって山狩の獲物が多かった際、臨時に大木の皮を剥いで両端を折り畳んで舟型にし、木皮の紐で綴り、木の枝で補強したものを石狩川などでは用いていました。
この作り方に暗示を与えたろうと思われるのは皮舟、すなわちトントチプであります。
これは北海道アイヌが実際に用いたという現実の証拠は見当りませんが、北海道各地の古い説話の中に出てくるものであります。
たとえばそれが昔話の中には鬼の宝物となっていて、畳んでいたのをひろげて海に浮かべると千里を走る、などと伝えられているのであります。
千島のアイヌはこれを現実に知っていたらしいことが古く文献に見えております。
辺要分界図考という本に、ラッコ島の夷人(たぶんアレウトかと思いますが)キモヘイという者がウルップ島へきて、その本国の舟を作った。
その作り方は「舟をトドの皮にて張り、袋の如くこしらえ、中には木の骨を入れ、夷人一人乗って、袋の口をしめきり、水のはいらぬようにし、かいにて左右へかき走り、陸へ上れば骨を去り、皮は畳みおく」というのであります。
それをウルップ島のアイヌがトンドチプといったとあります。
またクナシリ島の酋長ツキノイが「クルムセの舟は皮袋のようで、鳥の浮かぶのに同じだ」といったとも書いてあります。
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村上島之允 (1809),「五 (續造舟の部)」
イタシヤキチプの圖
こぎ舟の圖
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島田元旦 (1799)
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(3) 川漁
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菅江真澄 (1791), p.536
ユウラツプといへる,いと大なる,深さはかりもしらぬ河へたにつきたり。
秋は此水に鮭の多くのほりくとなん。
はぎ(脛)いと高きアヰノひとり,さゝやかにうすき舟をトッパネチイップといひて,柳の一葉の散り浮きたるやうなるに棹さし寄て,獨リのみのれとて,いくたひにもわたせり。
シャモなとの川長のさすとはふりもことに,さはかり廣き河の面に露も波たてす,魚なとの行こと(如)に,遠き岸邊に事なうつけぬ。
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(4) 川猟
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東寗元稹 (1806), p.40
獺、東勇武津 [勇払] 邊の川沼にて取也。
毛柔にて獵虎に亞ぐもの也。
すぐれて長き毛は魄し。
夫を取ぬれば、其品至てのぼれり。
他所に出る獺と異也。
唐山 [中国] の者、獵虎よりは此獺皮を愛す。
ゆへに多く近来、崎陽 [長崎] へ迭る。
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(5) 海漁
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東寗元稹 (1806), p.40
雪魚 [鱈]、所々民て漁すれども、東方ヲサツベを第一とす。
其味ひ美にして柔か也。
殊に鮞よし。
松前の海濱にてとる所は鮞なし。頭大ひにして尾細く、肉強ふして、味ひ甚だおとれり。
十一月に入て此獵有。
雲多き年は此獵かならずあたれりと。
雲魚の名むへ成哉。
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松田伝十郎 (1799), p.98
一、ホロベツ 地名 シラオイ 地名 、此邊にキナンポー (まんぼう) といふ海獣あり。
是を漁して油に〆、キナンポー油とて出荷物なり。
此キナンポーといふは形ち龜なり。
大き成るは疊三疊丈けに、或るは貳疊丈けもあり。
右を漁するには、夷舟にて夷人兩(二)三人づゝ乗組、沖合へ出て、右キンナポー見附次第ハナレ ヤスの事 を附て漁し、
舟へ引付置て、夷人どもキナンポーの甲に乗り、腹を断割り、臓腹、油わたの類残らず舟へとり入れば、
夫よりイナヲを削りて腹の内へ入れ放すといふ。
一日に貳つ、三つも取獲、前の如くいたし放すと云。
右のキナンポー助命して再度とらるゝといふ。
右様臓腹を抜れしものゝ助命いたすべき道理なし。
仁三郎 [松田伝十郎] は信用せず。
夷人の語るを聞に、二度め取れしは入れ置しイナヲのあると云。
其上キナンポー油とて出荷物にいたせし程の死甲(し骸)、如何様の時化大波にでもひとつも海岸へ打寄り揚りし事昔より聞(か)ずと。
支配人、番人などもこれを申。
餘り不思議なる事なれば聞まゝに爰に顯す。
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(6) 海猟
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松田伝十郎 (1799), pp.94,95
獵する具はハナレ ヤスの事 と云ひて、柄の長さ貳間三間程にて、鑓の柄のごとく成るものを以突留獵す。
是則子供の時分より遊び習ひし手練也。
‥‥
一、膃肭臍を獵する事はオシヤマンベ 地名 と云所よりエトモ 地名 と云所まで六ケ場所。
一場所に壹艘、貳艘又は三艘と定りありて、其所の役にして、冬至より来春二月迄の内海上和波にして晴て穏なる日をゑらみ、其場所場所より定めの通り舟數出舟す。
是をデバ舟と云。
屈強の男夷壹艘に三人宛乗組、大洋へ出、櫓櫂をやめ、煙草をも呑(ま)ず至て静にして海面を守り居。
何方より出舟もみな同様にして、汐風に流るゝときは手を以水をかき、漁場を離れざる様にいたしおるなり。
然る處、膃肭臍は穏なるに乗じ、水上へ十疋も二十疋も浮び、飛つ躍りつ遊び居、やがて眠を催し、熟睡して其内より一つ、二つ汐風にながれ出るを、夷人是を見附るとなを静にして、大概七、八間にもなればハナレを以(て)なげ、突にしてこれを取、
獲るや最初ハナレを附し夷を勝負の夷と唱へ、夫より二の夷、三の夷と褒美に高下あり、尤價も右に准じわけ遣す事なり。
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串原正峯 (1793), p.507
宗谷會所の前、海越に向てノツサブの崎へ差渡し海上三里程、濱邊通り陸を廻りては六里程有て、入輸になりたる所なり。
海上寒前より磯へ氷張る。
厚さ壹寸より貳寸位なり。
岡通りは壹尺程に氷張る。
立春過ヤマセ 東風なり 吹て、唐太嶋の方より山のごとくに氷を一度に押来。
其ときはソウヤよりリイシリまて十八里は海上幷レブンシリの方まで海上一面に氷山のごとくになる。
其時氷の上に水豹乗り居る故、蝦夷人とも氷の上を走り歩行、水豹を獵するなり。
ヒカタ 西南の間の風 ふき、一度に氷下地シヤリの方へ流れ行なり。
去る亥の春宗谷領の内サロゝ、ヱノベツ、トウベツ、トコロ右四ケ所蝦夷三百人程水豹取にいで、難風に逢、一度に氷□ [氵+ 戈] に打れ、壹人も残りなく死せしよし。
尤右水豹取に行時は船に飯糧幷に薪水等も用意し、氷の上へ船を引揚、丸小屋をかけ、假住居をなし、水豹見ゆれば矢を放し、又はヤスといふものにて突留取事なり。
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引用文献
- 最上徳内 (1791) :『蝦夷風俗人情之沙汰』
高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.439-484
- 菅江真澄 (1791) :『蝦夷迺天布利』
- 『菅江真澄集 第4』(秋田叢書), 秋田叢書刊行会, 1932, pp.493-586.
- 串原正峯 (1793) :『夷諺俗話』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.485-520.
- 松田伝十郎 (1799) :『北夷談』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.77-175
- 島田元旦 (1799) :『蝦夷紀行図 上』
- 東寗元稹 (1806) :『東海參譚』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻』(探検・紀行・地誌. 北辺篇), 三一書房, 1969. pp.23-44.
- 村上島之允 (1809) :『蝦夷生計図説』
- 知里真志保 (1949) :「言語と文化史──アイヌ文化の探究にあたりて」
- 『和人は舟を食う』, 北海道出版企画センター, 2000, pp.48-86.
- 青空文庫
- 高倉新一郎 (1974 ) : 『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974
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