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高倉新一郎 (1959 ), pp.175,176
天保十五年(1844) 松前藩は次のような達書を出している。
一 |
蝦夷人別相応ニ有レ之場所ニ而他場所江雇稼ニ貸遣シ候類、
双方請負共江為ニハ相成可レ申候得共、
夷人共ニオヰテハ迷惑之筋モ可レ有レ之候哉。
是以、漁業手配之事故一切不二相成一訳ニハ無レ之候得共、
人別見斗ヒ、難渋ニ不二相成一様勘弁之取斗ヒ可レ有レ之事。
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一 |
蝦夷人別不足之場所ニ而生涯独身之者有レ之由。
他場所ゟ之縁組ハ不レ好由ニ候得共、
右独身之者多ク有レ之候而ハ、弥人別致二減少一候事ニ候間、成丈縁組致シ候様、
役夷人並支配人・通辞共ゟ厚ク世話為レ致可レ申事。
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一 |
場所表ニ罷在候支配人・通辞・番人共メノコヲ妾ニ致シ候儀、堅ク無用ニ被二仰出一候事。
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一 |
妊娠之者ハ成丈労リ、生育之手当可レ為レ致候。
乍レ去 (さりながら) 和人同様ト申儀ニ無之、
夷人仕来通可レ為レ致事。
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一 |
支配人・番人・稼方之モノ共、夷人遣ヒ方等ニモ、非義非道之儀無レ之様可レ為レ致侯事。
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すなわち他場所への強制出稼ぎ、婦女子の減少などの外に、蝦夷の虐使が人口減少の大きな原因であったことを語っている。
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引用文献
- 高倉新一郎 (1959 ) : 『蝦夷地』, 至文堂 (日本歴史新書), 1959
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