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高倉新一郎 (1974), pp.137,138
ウイマムとは、アイヌの酋長が松前藩主に友好を示すため松前を訪れた際、行なわれたもので、ウイマムとは「お目見え」の転訛だろうといわれている。
特別の船 [ウイマム舟] を仕立て、たくわえておいた漁獲物を積んで来訪し、松前藩主にみやげ物を捧げ、酒をかわして友好を示した後、仮小屋の宿舎に帰って、交易をするもので、
もとの姿は中国が四隣の異民族の統治に使いまた我国でも朝貢として行なったものと同じく、友好を示す物品の贈与交換が基本にあったものと思われる。
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高倉新一郎 (1966), pp.47-49
交易は蝦夷が松前にもたらす土産のすべてに及んでいたのではないかと思われる。
元和年間 [1615〜24] 耶蘇教宣教師の報告(註)によれば、蝦夷人が松前に持って来る産物は、 干鮭・鰊・白鳥・鶴・鷹・鯨・トドの皮・ラッコの皮・
トド油・鷲羽及び緞絹等
であった。
寛文年聞の記録によると、
干鮭・熊皮・鹿皮・真羽・鶴・鯨・塩引鮭・魚油
の外、西蝦夷地では
鰊・数ノ子・串貝・ねっふ・こっひ・あざらし・えぶりこ、
東蝦夷地では
干鱈・らっこ皮・赤昆布、
それに近年
鱒
が加わりつつあった。
それに対して松前から与えるものは
米・酒・麹・塩・煙草・鉄類・衣料・漆器類・装身具など
であった。
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註 : |
H. チースリク編『北方探検記──元和年間に於ける外国人の蝦夷報告書』, 吉川弘文館, 1962.
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引用文献
- 高倉新一郎 (1966) :『蝦夷地』, 至文堂, 1966.
- 高倉新一郎 (1974) :『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974
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