アイヌは,人口を減らす。
これは,和人がアイヌを殺したとか,アイヌを自殺に追いやったということではない。
また,「和人が疱瘡・結核・梅毒を蝦夷地に持ち込み,抵抗力の無いアイヌを死なせた」の記述によく出遭うが,この命題の出処と根拠ははっきりしない。
実際,自然科学であれば,つぎの問いを立てる:
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何ができたら,「和人が疱瘡・結核・梅毒を蝦夷地に持ち込み,抵抗力の無いアイヌを死なせた」を証明できたことになるか?》
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「アイヌ学」はこのようではないので,希望的観測と「拡散ねがいます」でこれが普及している可能性がある。
そこで「アイヌの人口減少」の原因/理由として考えられることは,つぎの三つである:
(a) 少子化構造
商品経済は,<雇われる>を生業の形にする者が多数派になる。
この場合,男女ともこれを生き方にするようになると,少子化の事態になる。
場所のアイヌ雇用は,まさにこのようになる。
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窪田子蔵『協和私役』, 1856.
高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻』収載 : pp.639-650.
夷人申様は、運上屋我等を虐使する事殊に甚し。
春二月鯡漁初めてより引続夏は昆布とり、又鮭捕り、秋は鮭漁、其間は魚漁の支度、網繕ひ等まで紛々無レ限事に候。
漸く十一月に至り私家に帰る事を得るなり。
然らば我等年中家に居るは冬より春へ僅三月なり。
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(b) 逃遁
これは,つぎのような場合である:
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砂沢クラ,『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社, 1983
pp.137,138.
私の夫はユーカラ (長編英雄叙事詩) やトゥイタック (散文物語) に名高いオタスツウンクル (オタスツ人) の子孫でした。‥‥‥
夫の祖先が、昔から住んでいたオタスツ [小樽付近] を離れ、伏古コタンに住むようになったのは、和人がアイヌの住んでいる土地につぎつぎと入り込んできては、アイヌの困ることや悪いことをしたからです。
「和人と一緒では安心して暮らせない」と、和人が入ってくるたびに和人のいない奥地へ奥地へと、逃げ隠れするように移り住んでいるうちに、とうとうウェンモシリ (悪い国土) と呼ばれる伏古に行き着いてしまったのでした。
私がエカシやフチたちから聞いた話では、夫の祖先は、まず、オタスツから海辺を歩いて石狩川の川尻まで行き、そこから舟で川をさかのぼり、石狩川と空知川がぶつかっているソラチプト (現在の滝川市) から空知川に入って、その川上の山奥に住んだそうです。
夫の祖先は、この地を自分たちがやってきた土地オタスツの名を取ってオタウシナイ (歌志内) と名付けました。
当時は、海辺からオタウシナイに入る道はなく、山にはクマがたくさんいましたし、和人は舟で川をさかのぼれないので、しばらくの間は、アイヌだけの落ち着いた暮らしが出来ました。
ところが、ある時、祖先のエカシが山へ猟に行き、炭山を見付けて和人の役人に教えたので、炭山を開くための道がつき、炭を掘る囚人たちもたくさん来て、この土地にもいられなくなったのでした。
‥‥‥
夫の祖先は、また、空知川をくだって、いったんはソラチプトに住みました。
ここは畑の作物もよく出来、山の野菜も魚もたくさんとれてよい暮らしが出来たのですが、まもなく鉄道の線路をつけるため囚人たちが入ってきておられなくなり、こんどは石狩川をさかのぼって伏古に来たのでした。
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(c) 疲弊・憔悴
「疲弊・憔悴が人口減少につながる」は臆見だが,敢えて論点先取を犯すということで,ここに挙げておく。
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