「アイヌ文化」は,推察されるのみである。
アイヌ文化のテクストを書く者は,アイヌ文化を自分が見てきたかのように書くことをスタイルにしているが,このスタイルはミスリーディングである。
自分が見てきたかのように書く書き手は,つぎの二通りである:
- 読者を退かせないために厳密な物言いを棄てている
- 本当のことを書いていると思っている
後者は,きわめて憂慮される事態である。
これは,<ことばのひとり歩き>が起こっているということである。
アイヌ文化を伝えるものは,少数の見聞録である。
これらが一次資料であり,その他は二次資料である。
<ことばのひとり歩き>は,つぎのようにして成る:
- 一次資料の内容が,事実化され,さらに一般化される。
- これら断定から,<組み合わせ>と<伝言>のゲームが開始される。
- こうしてつくられる言説のうち,権威と見なされている者のつくった言説が,使い回しされる (二次資料)。
例えば,つぎは「ことばのひとり歩き」の類である:
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高倉新一郎 (1974 ), p.75
猟場は部落を単位に決められていて、他人が侵すことを許さなかった。
もしも他の猟場で猟をする必要がある場合には、あらかじめ了解を受け、猟物の一部を贈った。
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実際,つぎの話が,誇張を割り引いても,上の論と矛盾する:
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松浦武四郎 (1860), p.735
その川 [石狩川] すじ凡そ六,七日を溯り行てウリウ [雨竜川] といへる支流有て ‥‥ 其川筋に住ける者にて,兄はイコトヱと云ひ,其弟をカニクシランケと申。
‥‥
山野に獵して豪羆(ひぐま)猛鵰(おおわし)を獵獲ては是を濱邊へ下し、米、酒、煙草または古着の類ひと取かへ‥‥
‥‥
朝に石狩岳の方に行かと思ひの外、夕にトカチ(十勝)、ユウバリ(夕張)、シヤマニ(様似)の岳々を経廻り、アカン(阿寒)、クスリ(釧路)、テシホ(天塩)の嶺まで馳せ歩行き、僕のコンラムと五頭、八頭の豪鵰猛羆を得ずしては歸らざりし‥‥
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同上, pp.756,757
石狩上川なるヲチンカパといへるは、彼カモイコタンよりも二日路餘有て、船程凡十七、八里もと思はる處なるが、此處に住しける土人ブヤツトキと云ふ當年五十二歳、‥‥
常に山野に走り廻りて、唯獵業を好みて,運上屋の稼の間には,唯熊を追てはテシオ川へ越え、鹿を追てはトカチ、ユウハリの岳にまでも堅雪の上を渉り行くこと比,隣の如く、
朝に家を出ては夕はサヲロ トカチ領なり に夜を明し、またのタはクスリ、トコに越るをもことゝも思はず、
足跡さへ見當りなば一疋にても是を取り迯(逃)せしと云ふことなかりしが、‥‥
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引用文献
- 高倉新一郎 (1974 ) : 『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974
- 松浦武四郎 (1860) :『近世蝦夷人物誌』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.731-813
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