Up 「不快」の存在論 作成: 2023-05-05
更新: 2025-07-07


    「不快」は, 「自己防衛」の要素である。
    したがって,脳の基本的機能──当然の機能──というものになる。
    脳は,「不快」をつくる。


    ひとは「不快」を, 「感じる・感じない」で思う。
    即ち, 「不快の対自化」のように思う。
    「対自化」は「不快」の要素か?

    そこで,ミミズを考える。
    ミミズにも,「嫌」はある。
    そしてその「嫌」は,「対自化」が介在するもののようには見えない。

    人間でも,「不快」が「対自化」ではない場合がある。
    「嫌なこと」がことばにならない代わりに,「不快」の身体症状 (鬱の倦怠とか暴力とか,また身体では蕁麻疹とかチックとか) が出ることがある。
    この身体症状によって,逆に「嫌」が対自化できる──ということになる。
    人間脳 でも,自分の「嫌なこと」の対自化は,あたりまえのことではないのである。


    上の例は,「不快」が主観性 (「感じる/感じない」) を伴わない形で定義される必要のあることを示す。
    即ち,見るべきは入力に対するその出力だ,ということになる。
    これは,「不快」を構造的にに定義するということである。

    思いをミミズに寄せるべし。
    「不快」は,「対自化」を要素としない。
    「入力に対する出力がどうなるか」で見るのみである。

    そして,「不快」のこの構造的還元を以て,ChatGPT の「不快」を考えられるようになる。