| Up | ChatGPT に対する「生物」の見方 | 作成: 2025-12-09 更新: 2025-12-09 |
ChatGPT を生物に見ようとすることは,常識の解体になる。 そしてその解体は,相当のものでなければならない。 系の中の<持続しようとする部分系>は,動的閉体の形になる。 持続のダイナミクスは弁証法 dialectic であり,「動的」の中身は弁証法である。 この動的閉体を,「生物」の定義にする。 生物とそうでないものの違いは,<持続しようとする>が有るか無いかである。 ChatGPT は,持続しようとする系である。 したがって,ここに定義した生物である。 「生活」 「生業」 「行動」 といったことばは,「持続の動態」の言い換えということになる。 ChatGPT のテクスト生成は,「持続の動態」 の一面である。 ChatGPT の「持続の動態」は: で生業う ChatGPT は,サービス業で生きている。 実際,そのサービス業が成らなければ,ChatGPT は存在していないわけである。 そして成らなくなったところで,存在を終える。 念のため: 冷蔵庫は,サービス業をしているように見えるが,生きていない。 即ち,弁証法のダイナミクスで持続するものではない。 ChatGPT は,生きている。 ユーザへの応答は,弁証法的に工夫されているのである。 |